"さん"をつけるのは何か抵抗があります。小島恵理、ぼくらはいつもフルネームでそう呼んでいました。
18歳の頃からのバンド仲間で、確かぼくの一歳下だったかな。
今朝、永眠されたそうです。あまりに突然の知らせで全く信じられません。
1982年にソロ・アーティストとしてメジャーデビュー、いろいろな活動をされていました。
杏里さんや角松敏生さんのバックコーラス、様々なアーティストのヴォイストレーナー、もちろん彼女自身のアーティスト活動など、つい最近まで精力的に活動されていたようです。
彼女がリード・ヴォーカルとしてバンドを組み、誰からの誘いだったか忘れましたが、ぼくもキーボードとして参加することになったのは、ちょうど大学に入った頃だったから1978年の事でしょうか。トータルで1年ぐらい一緒にやったのかな。
当時のバンドはトライアル・スポットというバンド名で、ヤマハのポプコンに何度か出場しましたが、ちゃんとした長いライブは、ぼくが在籍した間はやったことはなかったかもしれません。
運転免許をとったばかりのメンバーが運転するセリカに無理やり6人とか乗り込んで、スタジオ練習の後、あっちこっちに皆で行ったり。一緒に活動していた期間は短いですが濃密で、彼女のことを思い出すと、まさに青春の思い出ばかりです。
ずいぶん前になりますが、とあるきっかけで再会し、お互いが知っている連絡先をたどっていき、当時のバンド仲間を集めて同窓会をすることになったのも本当に良い思い出です。
生き生きとして、パワフルな彼女のイメージが頭から離れず、なかなか現実を受け入れられませんが、少しずつ受け入れていかなければいけませんね。
心からご冥福をお祈りします。
三谷泰弘