追悼 土岐英史さん
インターネット経由でご存知の方も多いと思いますが、土岐英史さんがご逝去されました。頭の片隅でも全く予想もしてみなかったことで、6/27に第一報をギターの佐橋佳幸さんから電話で聞かされた時はただただ驚くばかりでした。
2020年の8月26日に京都のライブハウス、ラグで難波弘之さん、土岐さんと三人でセッションをしたのが最後になってしまいました。その時も土岐さんの様子は今まで通り、いつもの笑顔の土岐さんだったのですが、ラグでお会いした最初から、軽い打ち上げを終えて別れるまでずっとキャップをかぶられていて、あれ? と疑問には思ったものの、趣味が変わってこれからはキャップ姿をトレードマークにしていくのかなとぼんやり思っていました。
今思えば(あくまで勝手な推測ですが)抗がん剤治療で髪が抜けていたのかもしれません。
1998年、山下達郎さんのツアーメンバーに抜擢されたぼくは、そのリハーサルで初めて土岐さんにお会いしました。その時点で既にレジェンドといって間違いない存在でしたので、最初の頃はとても緊張しましたが、とてもハートウォーミングで優しい人柄にすっかり甘えさせてもらい、ぼくが参加して最初のツアーは本当に楽しい思い出ばかりになりました。ぼくらはステージ上では右端と左端で一番遠くに離れていましたが、誰かがいいプレイをするとサムズアップポーズをして満面の笑みをたたえている土岐さんの姿は今も脳裏に焼き付いています。
山下達郎さんのツアーと並行して行っていたSatellite
Tourで確か大分のライブハウスだったか、土岐さんが飛び入りされ、もちろんリハーサルなしでぼくの「One and
only」という曲でソロを吹いてくださいました。土岐さんはもちろん初めて聴く曲でしたが、曲の最後にぼくが歌を伸ばして音を切る瞬間に何の合図もしていないのにぴったり同時に、土岐さんものばしていた音をとめた瞬間の鳥肌が立つような経験は今も忘れられません。それはまさに音楽の神が降り立ったと思える瞬間でした。
その後も頻繁に主に京都ラグでのセッションに誘っていただき、ぼくにライブハウスでのセッションのやり方、心得などを伝授してくださり、様々な素晴らしいミュージシャンを紹介していただき、一人のインディペンデントなミュージシャンとしてのあり方を身をもって教えていただきました。
いつも土岐さんとのセッションではライブの内容をすべて任せていただいたのも、ぼくにとって大きな成長と自信になりました。土岐さんのライブということで打ち上げに顔を出すお弟子さんたちとの交流の雰囲気も、ラグでよく見ていましたが、大人になってもこういう暖かい師弟関係が築けるんだな、と少しうらやましくも思いました。
決して人付き合いのいいとはいえないぼくを、面倒くさがらずいろんなミュージシャンの方たちに出会わせてくださり、音楽をその場で作っていくことの楽しさや音を通じてのコミュニケーションのやり方を教えてくださったことは本当に心から感謝しています。土岐さんはぼくの9歳年上でしたが、同じ年頃の兄が二人いるぼくには、わがままが言える新しい兄のような存在でした。
なによりも、毎年夏に土岐さんとセッションをご一緒して毎回思うのが、去年より音が太くなってる、更に進化していてすごい、という強い印象でした。まわりの音がピアノひとつであろうとバンドと一緒であろうと常に、土岐英史の音が真ん中に大きく存在するそのすごさ。音楽にそれほど詳しくない人でもきっと感じられるだろう、あの圧倒的な音の存在感は土岐さんの最大の魅力だったと思います。
ぼくは誰にも言ったことはありませんが、土岐さんを中心としたいろんなジャンルのミュージシャンやお弟子さんたちが集まって、土岐さんの生誕何十周年かを祝うようなライブイベントをどこかでやりたいな(もしくは単にそのうちの一人として参加したい)と秘かに妄想していました。土岐さんのミュージシャンのネットワークの一員としていられる喜びをそんな形で感じてみたい、と思っていました。
残念ながら最期まで現役で現場主義だった土岐さんにそんな周年イベント的な話を持ち掛けるきっかけもなく、こうして別れの時が訪れてしまいました。
土岐さんがこの世界にいないという事を全く想像だにしてこなかったので、これを書いている今もその現実がなかなか皮膚感覚で理解できません。こういうご時世ですので、なかなか集って語り合うこともままならないですが、土岐さんとの思い出や、その人柄をゆかりのある人たちで共有したいと強く思います。
土岐英史さん、本当に長い間ありがとうございました。そしてお疲れ様でした!
2021/6/27 三谷泰弘